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正宗白鳥と敦夫
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白鳥を概観する上で手ごろかつ基本的な一冊として、『正宗白鳥』(昭42・福田清人/佐々木徹著)がある。これは、白鳥の生涯及び主要作品の紹介と解説を加えたもので、巻末には白鳥の年譜、参考文献がまとめられている。 次に白鳥の作品論を幾つか紹介する。『岡山の自然と文化11―郷土文化講座から―』(平4・岡山県郷土文化財団編集発行)には、赤羽学氏が講演した「正宗白鳥の戯曲の面白さ」が載せられている。これは主に戯曲「最後の女」に焦点をあてて、その内容紹介とともに白鳥の作品群の特徴と、白鳥の現実認識に対する考察を加えたものである。この他にも赤羽氏は、雑誌「書簡研究」2に「正宗白鳥の手紙意識」を、「岡大国文論稿」第18号に「正宗白鳥の『徒労』における目の役割」を発表している。また、同紀要第16号には、越智美穂氏の「正宗白鳥の眼力」が掲載されているので参照していただきたい。 雑誌「教育時報」通巻二〇五号には山本遺太郎氏が「正宗白鳥−その死と生をめぐって−」を寄せている。ここでは、白鳥の生い立ちから、臨終の間際に遺した言葉までを振り返り、白鳥と文学・キリスト教信仰の位置付けに一つの答えを提示している。 現在、生家跡には白鳥の文学碑が建てられている。それは、小説『入り江のほとり』の一節からのもので、白鳥の少年時代の郷里の情景が刻まれている。 西風の凪いだ後の 入江は鏡のようで 漁船や肥舟は 眠りを促すような 櫓の音を立てた |
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(2)弟・敦夫と岡山 正宗白鳥の弟である正宗敦夫(1881〜1958年)は、白鳥が中央文壇で名をあげたのに対し、生涯ほとんど他郷を踏まず、郷里の和気郡伊里町において国文学と和歌の分野で功績をあげた人物である。高等小学校卒業後は、父の命で日用雑貨の店を始めたが、品物の仕入れに岡山に通うかたわら、歌道に秀でた井上通泰に師事し研讃を積んだ。主な業績は、『万葉集総索引』、『日本古典全集』『蕃山全集』などの編纂で、国文学会に多大の貢献をした。昭和二十七(1952)年には、その地道な研究活動が評価されてノートルダム清心女子大学教授に就任した。 ここで正宗敦夫に関する文献を幾つか紹介したい。まず、敦夫自身の作品としては、『正宗敦夫文集』 がある。これは敦夫の記した随筆・和歌を、金光図書館報「土」や、敦夫が創刊した歌学雑誌「国家」などから抜粋したものである。 |
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『正宗敦夫の世界』(平元・吉崎志保子著)は、敦夫の書簡集「くひなのおとづれ」を軸にして、敦夫の青年期の活動を明らかにしたものである。著者は、これ以前にも敦夫の業績・生涯に関する論文を発表しているが、これはその集大成とも言える。ここには、敦夫の生い立ちと壮・老年期の活動や、正宗家の系譜も加えられており、巻末には正宗敦夫著作目録(年代順)、略年譜を付す。敦夫の人物像、交友関係、歌人としての活動を読みとることができる一冊である。 このほか、ノートルダム清心女子大学国文学研究室が発行した「清心国文」第二号では正宗敦夫教授追悼特輯という特集が組まれ、またそれ以後の紀要「古典研究」にも取り上げられることが多い。 敦夫は書物に対する愛着が深く、収集した古書稀本を正宗文庫として昭和十一(1936)年に創設した。収蔵されているものは、国文学関係の古書、研究書、郷土研究書など約二万冊と古文書である。『正宗文庫所蔵典籍分類目録(郷土関係編)』(平7・深井紀夫編)には、全蔵書のうち約三十%にあたる郷土関係書二一九六点(三九三〇冊)を国書・漢籍・洋装本に分け、それらの書名・出版年月・大きさなどが列記されている。 創設以来約六十年を迎えた同文庫であるが、目録の刊行を始めとして次第にその整理が進められている。老朽化した施設の整備再建とともに、敦夫の業績を見直す時期がきたのではあるまいか。 |
(『岡山県総合文化センターニュース』No.374・375、H7,11・12)